plantec プランテック

Special Contents震災復興プロジェクト

がれきの山に立ち向かえ。

被災地・南三陸町の復興にむけて、過去に前例のない工事に挑んだ技術者たちの4ヶ月。

宮城県南三陸町は、東日本大震災で甚大な被害を受けた。復旧・復興の妨げになったのは、あたり一面を埋め尽くす膨大な量の災害廃棄物。これを早急に撤去しなければ、復興は始まらない。

立ち上がったのは、プランテックの技術者たち。国が進める「災害廃棄物処理業務」に自社の誇る「バーチカル炉」が採用され、三基の焼却炉で1日285トンの可燃物を処理するプラントを4ヶ月間で建設するという過去に例のないミッションに挑んだ。
『阪神大震災の時、鉄道関係の仕事をしていた父親が不眠不休で復旧にあたる姿を覚えていて、復興に微力ながら貢献できることに使命感を感じていました』(前川智志)。誰も口には出さなかったが、技術者たちの思いはみな同じだった。

2012年5月、岩村近専務を筆頭に8名の技術者たちはいくつかのチームに分かれて、現地に入った。全国各地のプラント建設に取り組んだ精鋭揃い。文字通り“最強の布陣”だったが、前例のない工事だけに多くの困難に直面した。

まず工期が極端に短く、3炉を同時に建設しなければならない。プランテックを元請けとして足場・据付・築炉・配管・保温・電気など多くの業者が集まり作業員は毎日100人を超えていた。

彼らの気持ちをいかに束ねるか。岸田所長は心を砕いた。また災害復旧が目的だけに工期の遅れは許されない。安全管理を担当した前川副所長は、万全の上にも万全を期して工事にのぞまなければならなかった。

岸田一幸
エンジニアリング本部
設計部(機械)部長
南三陸建設工事
プロジェクトには、工事のために全国から協力会社が集まってくれました。会社もまさに総出で現場をバックアップ。おにぎりや地魚を差し入れてくれた地元の方々の協力も忘れない。何もかもが、貴重な経験だったと今振り返ると思います。
前川智志
エンジニアリング本部
工事部部長
南三陸建設工事 現場副所長
百人を超える作業員を動員する現場。かつて経験したことのない工事は毎日が緊張の連続でした。計画があっても、それを実行する力があってこそ。人・モノ・工事、すべてにおいてプランテックの底力を見せたプロジェクトでした。
岡田忠雄
エンジニアリング本部
安全衛生課長
南三陸建設工事担当
プロジェクトに関わったメンバーが集まると、今でも当時のことが話題になります。あんな充実した現場はなかった。誰もが口を揃えます。苦労もいっぱいしたけれど、あんなに濃密な時間を過ごしたことはない。その思いは今も変わりません。

「思い」だけが支えだった。

95トン/日のプラント×3基を、4ヶ月で建設。常識外れの短期工事を可能にしたプライドと使命感。

プランテックのバーチカル炉は、廃棄物をタテに積み上げて燃やす。プラントはビルの如くそびえ、高さは30m以上にも達する。南三陸の現場でも、据付工事が進むにつれ3炉が競うように上空へ伸びていく姿に注目が集まった。付近の現場から見学にやって来る工事監督や作業者も少なくなかった。

5月の着工から1ヶ月、工事は山場を迎えた。現場は一気に慌ただしさを増したが、新設工事に初参加の岡田忠雄には、その緊張感が心地よかった。さらに岡田にとって慣れない交代勤務。だが苦ではなかった。『むしろ工事のことが気になって、交代後にも現場にいたりしました。現場事務所には笑い声が絶えなかったし、引き受けた以上はどんな困難も乗り越えてでもやり遂げようという空気が、作業員も含めて現場全体を覆っていました』(岡田)

周囲には多くの工事現場がある。だが焼却炉建設現場だけは、夜も照明が絶えることはなかった。

その後工事は順調に進み、9月には「火入れ式」が挙行された。性能テストも1回でクリアし、本格稼働を開始。1年間で9万トンにのぼる災害廃棄物を処理し、震災復興に貢献した。

今でもメンバーは口々に、「あんな充実した4ヶ月はなかった」と話す。脳裏には、4ヶ月間の濃密な時間の記憶がある。現場を覆っていた一体感。数えきれないチャレンジ。被災者との心のふれあい。周囲に、数多くある工事現場の中、常に活気にあふれたプランテックの現場は、ひときわ異彩を放っていた。

2012年5月15日の着工から4ヶ月、仮設焼却プラントは性能試験をクリアし、9月30日に無事稼働を始めた。プロジェクトのメンバーは、荒廃した被災地にひと際高くそびえ立つ3基のバーチカル炉を前に、それぞれが言葉では語り尽くせない感慨を味わっていた。それはまた、地元住民にとって復興の象徴でもあった。

仮設焼却プラントは、完成後大きなトラブルもなく、順調に稼働を続けた。1日に処理する災害廃棄物は、3基あわせて285トン。2013年末に無事に役目を終えて取り壊されるまでの1年余りにわたって、被災地にあふれる廃棄物を処理し続けた。機械トラブルによる停止もなく、1年余り連続稼働したことでリサイクル率は99%に達した。

仮設焼却プラントは、2013年末に取り壊されるまでに9万トンの廃棄物を処理した。当初計画は7万5000トンだったが、周辺地区から廃棄物を引き受けてほしいとの依頼もあり、計画を15,000トンも上回った。復興にむけて急務の課題とされた災害廃棄物。その処理が無事に完了し、被災地は復興にむけた足取りを早めていった。